そっとチラ裏@はてなブログ

はてな女子みたいなステキなブログが書きたいな!オッサンだけどな!

緊急事態宣言下の生存報告

 ここしばらく自分は、ネット上にブログはもちろんブコメもツイートすらアウトプットすることなく、ひたすら惰性でROMる日々を過ごしてきた。そんな中で迎えた、今夜のコロナウィルス緊急事態宣言。


 こんな時だからこそ、久々にブログを更新しておこうかという気持ちになった。


 このコロナウィルス危機について自分は、正直なところ、切迫した危機感をまだ持てずにいる。緊急事態宣言の対象地域に住んでいるとは言え、感染する危険性が身近にあるという緊張感は、まだ無い。
 そして、ウィルスも恐ろしいが、この全世界的な混乱の先に来る経済危機の大津波が更なる大惨事をもたらすであろうことも、頭では分かっている。


 しかし、こちらに対してもあまり危機感を持てていない。自分が色々あって今は福祉業界で働いており、すぐに失業することは無いだろうという甘い楽観があるのだろう。
 この、世の中は大惨事に見舞われているが自分自身はたぶん大丈夫だろうとフワフワしている感じは、2011年の東日本大震災の頃の自分を思い出す。あの時も、一方では被災地から遠くにいるという楽観と、自分自身は失業中であるという捨て鉢感があり、他方では福島第一原発事故の展開如何では自分の住む場所を含めた東日本が終わるかもしれないという漠然とした恐怖を抱き、なんだかフワフワとした気持ちで日々を過ごした記憶がある。


 コロナウイルスに関して、まだ身に迫る危機感は持てていないが、今後もし感染したら大変なことになるな、というボンヤリとした不安はある。もし自分が媒介者としてウィルスを職場に持ち込んだら、近日中なら新聞沙汰になるだろう。それよりも間接的とは言え、結果として「人殺し」になるかもしれない責任の重さがある。また、自宅にウィルスを持ち込めば、基礎疾患のある親を「殺す」恐れがある。そもそも自分も喘息持ちなので、コロナウィルスに感染すれば死ぬかもしれない。そういう漠然とした不安や恐れはある。
 そういう不安と恐怖がある一方で、「もう、セカイも自分も終わって構わないよ」という投げ槍感があるのは、東日本大震災の時と同じだ。19人を殺した相模原障害施設殺傷事件の犯人ほどじゃないにしても、職場で介護しながら「自分は、こうなってまで生きていたくはないな。なんなら、もう今すぐ死んでも心残りは無いかもな」という虚しい思いが心を過ぎることは、正直、少なくない。かつて同じ学校で机を並べた同級生や先輩の活躍をテレビやネットで見かけると、そんなの気にしても仕方が無いことと分かっていても、心が削られる自分がいる。この数年間で、何度もチャンスが巡ってきたのに、それを活かすどころか逃げ出した自分が弱かったというだけなのに。比べる意味は無いと分かっていても、一方で自分はこの先何十年も笑顔を作りながら他人の糞尿の始末する日々を送るんだな。ならばいっそ、コロナウィルスで…でも苦しい死に方は嫌だな、などとどうしようもなく暗い思考に陥ったりもする。



 気がつけば、オフの楽しみと言えば電子書籍のマンガやブラウザゲームの艦これを惰性でやったり、最近エロ目的で奮発して買ったOculus Questをいぢるぐらいしかない「子供部屋おじさん」に堕している自分。やはり、他人の創り出したコンテンツを消費する事にしか楽しみを持てないでいると、人間強度が下がるものなのかもしれない。それならば、自分で何か作り出すことにささやかな喜びを持つような生活を心掛けることで、少しは心が救われるのだろうか。


 そんなグダグダした思いの果てのオナニー的なアレとして、久々にブログを更新してみた。現場からは、以上です。