フィジーの土器は、なぜシンプルになったのか
土曜の朝の番組「旅サラダ」で、おっぱいプルルンがフィジーの土器を語っていたでござる。
■シンプル化していった、フィジーの土器
昔ぁ〜し学校で習ったし本も読んだ気がするけど、フィジーの場所もよく分からん。「オーストラリアの右斜め上で、ニュージーランドの左ナナメ上あたり?」みたいなw
そんな知識しか持ってないし、旅番組だし、おっぱいプルルンだから、ツッコむのもヤボだって話だけど、フィジーの土器が徐々にシンプルになる理由についての解釈したあの説明って、どうなのよ?
すなわち、フィジーでは、数千年前には緻密な幾何学文様が刻印された、所謂ラピタ式土器が作られていたが、数百年前には無紋でシンプルな土器が作られるように変化していた。この変化の説明として、頻繁に新しい土器を作り消費するようになったのでシンプル化され、緻密な文様を土器に刻む伝統は失われてしまった、という解釈を紹介していた。そして、「現代を生きる私たちにとっても、大切な何か教わったように思います」と夕焼けの砂浜でおっぱいプルルンしてまとめ、みたいな。
でもさ、厚手で緻密な文様の土器から薄手で無紋な土器への変化を、焼き物文化における技術や芸術性の衰退って決めつけちゃうのはアレだよなぁ。日本の縄文土器と弥生土器との違いがまさにそうだけど、社会や食生活の変化によって、一言に「土器」と言っても、その道具として求められる機能みたいなのは、変わってくるわけだし。
■フィジーよりもっと東では、土器作りをやめた人々も
それにしても、ザクっとググるだけでも、太平洋の土器文化は、色々な切り口があるらしい。フィジーよりもっと東のポリネシアの島々では、最初は土器を作っていたのだけれど、だんだんと作るのをやめてしまった人々もいたらしい。
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人々の移動と土器の変遷を重ねると、ちょうどフィジーからニュージーランドの東側を南北に走る安山岩線(註5)を境に、地質が変わり粘土の質が悪くなります。そこを越えてサモアへ渡った人たちも、最初は工夫して土器を作りましたが、しだいに土器の質が落ち、最後は土器作りをやめてしまいました。「ポリネシア文化に土器はない」とよく言われますが、実は、掘ってみると昔は作っていたことがわかる。なぜ作らなくなったのかを考えるのも考古学の楽しみです。
<●TALK -対話を通して-:島々をめぐる人々の暮らしの知恵:印東道子×中村桂子
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