先日はてな村を卒業した 元ハックルさんこと岩崎夏海氏が、とあるホットエントリーに反応していた。
この中でで「人を育てようと思うと、どうしても上から目線になってしまう。上から目線だと気持ちも相手に伝わりにくい。気持ちが伝わらないと相手もうまく成長してくれない」と書いてあるけど、これには全く賛同できないな。ぼくの経験で言うと、ぼくは上から目線の先輩から一番多く学んだから。
2012-08-28 16:45:57 via web
これに続く一連のツイートで語られる岩崎氏の教育論については、個人的には何か異を唱えるつもりはない。
ただし、話が私の好きな漫画『MASTERキートン』に及んでは、ちょっと黙ってはいられない。
「マスター・キートン」でキートンのお父さんの先生の話が出てくる回があるのだけれど、そこで先生は、大戦の空襲で屋根が落ちた教室に生徒を集めて、諸君、今こそ勉強すべき時だ、と宣言して一方的に授業を進める話がある。
2012-08-28 16:51:52 via web
それで生徒が「こんな時に授業をするんですか?」って聞くと、それこそ小馬鹿にしたような、哀れんだような、呆れたような顔で「こんな時だからこそするんだ」と答える。その時の先生、めっちゃ受けから目線。「そんなことも知らんのか?」って目が語っている。
2012-08-28 16:53:04 via web
それ、アニメ版ですか?僕が読んだ漫画版「屋根の下の巴里」でのマスター・キートンの師ユーリー・スコット教授なら上から目線はしませんよ。きっと「こんな時でも学ぶ喜びはある。諸君も知っているはずだ」と暖かい目で語るはずです。
このエピソードは二度出てきます。一度目は顔を出さずにこう言います。「さあ諸君、授業を始めよう。あと15分はある!」
二度目の時は顔が出ていてこう言います。「さあ諸君、授業を始めよう。あと15分はある!敵の狙いは、この攻撃で英国民の向上心をくじくことだ。ここで私達が勉強を放棄したら、それこそヒトラーの思うツボだ!今こそ学び、新たな文明を築くべきです」
これは『MASTERキートン』の「屋根の下の巴里」(MASTERキートン完全版 2巻収録)というエピソードの一場面。「キートンのお父さんの先生の話」という部分は、後続のツイートで訂正されているように岩崎氏の記憶違いで、正しくは主人公の考古学者だけど保険調査員で糊口を凌ぐキートン・平賀・太一の恩師、ユーリー・スコット先生だ。
さて、ここで問題にしたいのは、ユーリー先生の「さあ諸君、授業を始めよう。あと15分はある!」は、「上から目線」の言葉なのか?ということ。
というか、ぼくが言う「上から目線」とは、前記の先生のようなポジショニングのことです。「こうしなさい!」と責任を持って命令することです。けっして「こういう方法もあるけどね」とか「こうしてみるとどうかな?」などと、あやふやな物言いをしない態度のことです。
空襲で焼け出された状況で「授業を続けよう」と語ったユーリー先生の言葉は、「こうしなさい!」と責任を持って出された命令なのだろうか?
なぜ私はそこにこだわるのか。「屋根の下の巴里」というエピソードのテーマは、「人はなぜ学び続けるのか?」だと思うからだ。
人はなぜ学び続けるのか?命令されたからだろうか?そして、学び続けることが困難な状況に陥った生徒たちに対して、ユーリー先生が投げかけた言葉は、はたして「上から目線」の命令だったのだろうか?
■師と弟子、時を越えて繰り返される「人はなぜ学び続けるのか?」という問い
「屋根の下の巴里」は、時代の異なる3つのエピソードが並行して語られる。
ひとつは、現代のパリ。我らが主人公キートンが教鞭をとる社会人学校での物語。
2つめは、十数年前の英国オックスフォード大学。学部生時代のキートンと恩師ユーリー・スコット先生との物語
3つめは、1941年のロンドン。第二次世界大戦中、社会人大学で教鞭をとる若き日のユーリー先生の物語。
以上の3つの物語には、共通点がある。いずれも、生徒たちが学び続けることが困難な状況に陥っていることだ。
1つめの現代の物語では、高卒で社会人となったような人々に学問の機会を与えていた社会人学校が閉鎖しようとしていた。キートンは閉鎖される学校での最後の冬季講座を担当し、学ぶ場を奪われ気落ちする生徒たちをどう元気づけられるか悩んでいた。
2つめの十数年前の物語では、若き日のキートンが、指導教官のユーリー教授へ提出した卒論に落第点を出され、再提出を迫られていた。当時、学生結婚をしたキートンに長女・百合子が生まれ、キートンは家計を支えるため昼間は働いており、卒論がおろそかになっていたのだ。
3つめの戦時下での物語では、若き日のユーリー先生が、ロンドン大空襲に巻き込まれ、講義をしていた社会人大学が全焼。もはや授業を続けるどころではない状況になっていた。
■学び続けることが困難になった生徒たちに、教師は何を語ったのか
学び続けることが困難な状況に際して、キートン先生とユーリー先生が生徒たちに語りかけた言葉の中身は共通していた。
1941年のロンドン、空襲で全焼した社会人大学でユーリー先生は「さあ諸君、授業を始めよう。あと15分はある」と生徒に呼びかけた。現代のパリ、閉鎖する社会人学校での最終講義でキートン先生は「たとえ学校がなくなっても、皆さんには学び続けて欲しい」と語りかけた。そして、十数年前、生活苦で学問がおろそかになった若き日のキートンに対してユーリー先生は「昼間働かねばならないのなら、夜勉強したまえ。」と語り、教官専用の書庫の鍵を特別に手渡した。
師弟関係にあるこの二人の教師は、時を越え、それぞれの場面において生徒たちに語りかけたのだ。「それでも学び続けよう」と。
■「Mr.キートン、立派になったなァ」
「人はなぜ学び続けるのか?」という問いの他に、もう一つ、注目したい台詞がある。クライマックスで十数年ぶりにキートンとユーリー先生が再会する場面での台詞だ。
再提出した卒論に無事高い評価をもらったキートンだが、直後、ユーリー先生が当時は異端とされた学説を発表し学会を追放される。ユーリー教授はキートンに宛て「どんな状況に置かれても研究を続け、立派な研究者になりなさい。そしてその時は必ず会おう」という置手紙を残し大学を去った。以来二人は疎遠となる。考古学者として定職を得られず、ロイズ保険組合の調査員をして食いつないでいたキートンは、恩師と再会する資格がある「立派な研究者」には未だなれていないと悩み続けていたのだ。
しかし、キートンが思いがけず恩師と再会した場面で、ユーリー先生は「Mr.キートン、立派になったなァ」とキートンに告げる。
ここでの「立派になった」とは何を指すのだろう?私は、前述の「人はなぜ学び続けるのか?」という問いと絡んでいるのだと思う。キートンが、どんな状況であっても、たとえ研究者として定職を得られていなくても、学び続けてきたこと、そして学び続ける意味を生徒たちに伝えられる教師になったことに対して、ユーリー先生は、「Mr.キートン、立派になったなァ」と評したのではないだろうか。
■師から弟子へ受け継がれる、学ぶ情熱
さて、再びこの記事の最初に挙げた問いに戻ろう。ユーリー先生の「さあ諸君、授業を始めよう。あと15分はある!」は、「上から目線」の言葉なのだろうか?学び続けることが困難な状況の生徒に対してかけられたこの言葉は命令だろうか?
ただ、そのいずれでも、ユーリー師は教える立場つまり上からの眼差しで生徒に接しているように思います。それは、以下の台詞に感じ取れます。「Mr.キートン、考古学で一番大切なのは、直感に導かれた大胆な発想だよ。言ってみたまえ!」
若き日の学部生キートンにユーリー教授が投げかけた「言ってみたまえ!」という言葉は、命令だろうか?「昼間働かねばならないのなら、夜勉強したまえ。」は命令だろうか?
人は、命令されなければ学び続けられないのだろうか?
ユーリー先生や、その弟子キートン先生ならば、「こうしなさい!」という口調で「学び続けろ!」と命令することは決してないだろう。学生たちに命令する必要などないことを二人は知っているからだ。
人間には好奇心、知る喜びがある。人は、なぜ学び続けるのか?なぜなら、それが人間の使命だから、そうユーリー先生や、その弟子キートン先生は信じているのだ。だから、教師は学び続けることを教える必要もないし、ましてや命令する必要もない。ただ、学び続けることが困難になった生徒に対した時に先生は、緊張をほぐしたり、学ぶ情熱を呼び覚ましたり、勇気を与えたりして、応援してあげればよい。つまり、ユーリー先生の「さあ諸君、授業を始めよう。あと15分はある!」という台詞は命令ではなく、エールなのだ、と私は思う。
ということで、要するに、『MASTERキートン』の「屋根の下の巴里」は良い話なので、みんな読もうゼ!あるいは読み返そうゼ!というお話。
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