あるキーワードが特定の期間中にどれぐらいGoogle検索されたのか、その推移を簡単にグラフ化できるサービス「Google トレンド」。
この「Google トレンド」を利用して日本において「ウィキリークス」という単語がこの一年間でどのくらいGoogleで検索されたのか、その推移をグラフ化。これを一つの指標として、過去一年間でウィキリークスへの人々の関心がどのように推移したのかを振り返ってみたい。
■ピークは2010年11月末、米国外交機密公電公開
2010年11月28日、ウィキリークスはガーディアン紙ら欧米のマスメディアと協力し、米国外交秘密公電の公開を開始した。
「Googleトレンド」によれば、この直後に、「ウィキリークス」という単語のGoogleでの検索数指数は約15強という値を出している。これが過去1年間における検索数のピークとなっている。検索数指数は急激に跳ね上がり急激に落ち込んでおり、グラフの線は鋭角を描いている。
■東日本大震災 > ウィキリークス ≒ 市川海老蔵 > sengoku38
ただ、この検索数の指数15強という値がどの程度のものかが分り難い。そこで、他の検索語と比較することで相対化してみたい。
検索語「ウィキリークス」と比較する対象として、ほぼ同時期、2010年末から2011年頭にかけて起きた以下の3つの出来事に関する検索語を挙げてみた。
尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件に関わる検索語「sengoku38」はピーク時の検索数指数が5強。歌舞伎役者・市川海老蔵暴行事件に関わる検索語「市川海老蔵」は15弱。「東日本大震災」は25弱。これで大体は、検索語「ウィキリークス」の位置付けが把握できるかと。
■2011年1月、ジャスミン革命
更に2011年に絞って検索語「ウィキリークス」の検索数推移を追ってみる。
全体的に見れば右肩下がりであるが、グラフには3箇所で鋭角の山がある。
最初の山は2011年1月中旬。この時期に検索語「ウィキリークス」が伸びている原因は、恐らくはこの頃に北アフリカ・チュニジアで起きた民主化運動、いわゆる「ジャスミン革命」とウィキリークスとの関連性を指摘する論調が盛り上がったためであろう。
■2011年5月、朝日新聞がウィキリークスと提携報道開始
2つ目の山は2011年5月上旬。これは朝日新聞がウィキリークスと提携して記事を掲載し始めた事の影響と思われる。
朝日新聞のウィキリークス特集報道は長続きせず、尻すぼみに何時の間にか終わってしまった。しかし、「Googleトレンド」を見る限り、日本人のウィキリークスへの関心はそれ以上の早さで終息していったように見える。
■2011年9月、ウィキリークスが米公電を未編集で全面公開開始
3つ目の山は2011年8月下旬から9月上旬。これはウィキリークスが所持していた未編集の米国外交公電ファイルの流出&そのパスワード漏洩騒動と、これに対してウィキリークスが未編集の米国外交公電ファイルをサイト上に全面公開した事の影響と思われる。
■英語圏も同じような熱し易く冷めやすい鋭角グラフ線
比較参考までに、米国において「WikiLeaks」という単語がどれだけGoogle検索されたのかも「Googleトレンド」でグラフ化してみた。すると日本における「ウィキリークス」検索トレンドとほぼ相似したグラフ線が描かれた。やはり絶頂は米国外交公電が公開された2011年11月下旬。一気に盛り上がり一気に落ち込んでいる。
2011年においても同じように3つの山がある。ただし、2011年4月下旬から5月上旬に生じている山は、日本における朝日新聞のウィキリークス報道開始とは別の出来事に由来するものであろう。
これは、ウィキリークスが米国外交公電とは別に2011年4月24日に行った新たなリーク「グアンタナモ収容者の記録暴露」、およびその直後に起きたオサマ・ビンラディン暗殺の影響と思われる。
gloomynews deepthroat | これは凄い。Wikileaksが暴露したグアンタナモ刑務所最新ファイル群中に、今回のオサマ邸宅への手がかりを示す情報が掲載されている。 RT @wikileaks http://is.gd/LtSvHC (2011/05/03 00:19:36) | link |