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BS歴史館“至宝”の外交史(2)「パンダ 中国最強の交渉カード」

 意外と面白い番組だった。


1941年、太平洋戦争勃発して間もない12月半ば。中国のパンダ2頭が、ハワイを経由してひそかにアメリカへ渡った。くしくも、真珠湾攻撃で負傷した米兵たちが本国に送られる船に乗せられて。5か月後、全米で熱狂的な人気を集めることになる2頭は、ある重要な使命を帯びていた。それは、同じ日本と戦うアメリカの国民に「中国は同志です。どうか支援してください」というメッセージを伝えることだった…。

●NHKネットクラブ 番組詳細 BS歴史館 シリーズ “至宝”の外交史(2)「パンダ 中国最強の交渉カード」

http://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20110619-10-12209

真珠湾攻撃の最中に行われたパンダ輸送大作戦&情報戦

 これは知らなかった。1941年11月、中国から香港経由で米国に向けて二頭のパンダが輸送されたという。香港からフィリピンのマニラへ空輸。その後、海路で戦禍を避け南洋を遠回りしてハワイへ。その間に日本軍による真珠湾攻撃があり、その負傷兵や疎開する市民を乗せた船で、1941年12月25日クリススマスにサンフランシスコに到着したとのこと。
 番組で紹介していた興味深い話は、中国国民党政府が、パンダを米国に贈るにあたって計画した「パンダ宣伝計画13項目」。かなり多岐に渡るメディア戦略で、米国の子供たちからパンダの名前を募集する企画に始まり、メディア王でありヘンリー・ルースと組んだメディア戦略など。H・ルースは、寺島実郎氏がかなり注目していた米国における親中国派の源流的人物。

特に面白かったのは、「クリスマス商戦向けパンダのおもちゃ」という項目。そこまでやるかw

■"場を読む男"周恩来のパンダ外交

 1972年のニクソン大統領による中国電撃訪問。ここでもパンダ外交が行われたという。

 面白かったのが、中国から米国へパンダを贈るという話を自分たちから申し出るのではなく相手から言わせた周恩来の策。ニクソン大統領夫人の前に、さりげなくパンダたばこ(熊猫香烟)の箱を置く周恩来


ニクソン大統領の初めて中国訪問を歓迎した席上で、ニクソン夫人はタバコ入れに描かれたパンダの絵をほめ、「きれいですね。私はパンダが大好き」と言った。

そばにいた周恩来総理はニクソン夫人の話しを聞いて、「いつか贈りましょう」と答えた。ニクソン夫人が不思議そうに聞いた。「何を贈っていただけるのですか。タバコ入れですか」。周恩来総理は言った。「パンダです」

タバコという小道具の、なんと見事な使い方!

■番組のシメはアグネス・チャン

 番組の最後、これまで中国外交の道具として使われてきたパンダは、今後どうあるべきかという話に。ゲストの一人(たしか家長真幸氏?)が、パンダは中国の国宝を越えて、人類共有の宝になっていくべき、という話でキレイにまとめようとした。そこにアグネス・チャンが、中国人として意見を言わせて貰えばパンダは今後も中国の宝として自慢していくと思う!とバッサリ。これにはスタジオ内の他のゲストも、テレビの前の私も苦笑いww