【質問】 ハンプ越え以外にも,有力な援蒋ルートはあったのでしょうか?
ビルマルート切断(1942年5月)〜レド公路の打通(1945年1月)までの間、重慶国民党政府はどうやって継戦能力を維持したのか、という話。
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疑問点は,ハンプ越え以外にも有力な援蒋ルートがあったのか?(ソ連→蘭州方面等)
・重慶まで後退した国民党政府にとっては,上記程度の補給能力でも充分であった.
・ビルマルート切断までに,国民党政府はある程度の援助物資の備蓄に成功した.
・「援蒋ルート切断による国民党政府の屈服」自体が,陸軍が抱いた幻想だった.
等を考えましたが,実態はどうだったのでしょうか?
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http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08h16.html#16421
そろそろ以下の積読本を整理しないと、だなぁ
■菊池一隆『中国抗日軍事史-1937-1945』
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- 1940年が最大のピンチだった、という話。
- 蘭州方面のソ連からの援蒋ルート(1941年開始の独ソ戦戦況悪化により、ソ連からの支援は途絶)
- 奥地疎開が軌道に乗り工業生産力が増大
■バーバラ・W・タックマン『失敗したアメリカの中国政策―ビルマ戦線のスティルウェル将軍』
- 作者: バーバラ・W.タックマン,Barbara W. Tuchman,杉辺利英
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- 打通されたレド公路の残念な実態
- 連合軍の北ビルマ奪還を境としたハンプ越え空輸の新旧ルート変更と空輸量の増大
- 読書/失敗したアメリカの中国政策|そっとプロジェクト@Wiki